生活に欠かせないマインドフルネス

人は誰でも、幸せを求めて生きています。残念なことですが、大体においてそうして得た幸福とは苦しみから一時的に目をそむけさせるだけのものに過ぎず、苦しみを根絶したり、永遠の幸福を得たりするまでには到らないものです。苦しみが自分の心から発しているのだということ、それ故に、身体や外界から苦しみを除こうとするよりもまずは心の中を見ていかねばならないのだということを、私たちは見落としがちです。

 

飲酒、ドラッグ、遊び歩きなどによって苦しみを軽減できると考える人がいますが、それらは一時的に苦しみから目をそらしているに過ぎません。苦しみと根本的に向かい合おうと思ったら、瞑想は欠かせません。今日、特に西洋で瞑想の人気が上がっているのは不思議なことではありません。

 

瞑想は、僧侶や尼僧のみのためのものではなく、万人が気楽に修行でき、これを通して心を安定させ、集中させるのに大変有効なものなのです。仏教的に見ても瞑想は一般人にも幸福をもたらしますし、僧侶たちには解脱をもたらすものであるとされています。瞑想は仏教徒の為だけのものではなく、他のあらゆる宗教の信者、更には無宗教の人々にも有効なものです。瞑想について本で読んだり、あれこれと議論してみるよりも、自分自身で実際にやってみて、その成果を体験してみることが大切です。自分で経験した上で更に疑問点が出てきた場合には、瞑想の熟練者に指導を乞うのが良いでしょう。

詳細な説明

さあ、瞑想を実践してみましょう。

まずは座り方からです。床に座る場合、右の脚を左の腿の上に乗せ、右手を左手の上に重ねます。右手の人差し指の先が左手の親指の先に触れるようにして腿の上に乗せ、背筋と頭を真っ直ぐに伸ばします。この姿勢が辛いと感じるなら、イスやクッションを活用して下さい。血流に滞りが出ず、自然な呼吸ができるような姿勢を取って下さい。

眠りに就く時の様に、柔らかく目を閉じて下さい。ギュッと閉じたり、無理な力を込めて瞑ったりしてはいけません。かすかに閉じるのです。顔には微笑みを湛えるようにして下さい。そして、深呼吸をします。息を吸って吐く事を数回繰り返して下さい。お腹の真ん中にまで空気が届いていると感じるまで鼻から深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すのです。息を吸った時には全身の細胞が幸福と喜びを感じているとイメージし、吐き出す際には不安やネガティブな感覚を吐き出しているとイメージして下さい。その間、仕事や勉学、家族や恋人などの事は考えないようにしましょう。

あらゆるこだわりを捨てましょう。心を楽に、リラックスして心配事の事は忘れましょう。自然に呼吸をして、全身の筋肉をほぐします。頭頂部から額、顔の筋肉、まぶた、首、肩、腕、指先といった順にリラックスしていきます。更に、背中、胸、脚、そして爪先と、全身の筋肉を余すところ無くリラックスさせて下さい。身体のどこにも滞りや緊張が無い様にして下さい

細胞の最後の一つまでを完全にリラックスさせる様なつもりでリラックスして下さい。完全にリラックスしたなら、全身が空っぽに、透明で軽くなった様に感じるでしょう。心を明るい喜び、清らかさと光で満たして下さい。こだわりを捨てて、力を抜いて下さい。心を空っぽにするのです。

心をクリアに、純粋にして、あらゆる思考から解放して下さい。自分が広大無辺の空間に独り座っていて、あらゆるしがらみや人生の問題事から切り離されている、という風にイメージしてみて下さい。そして、自分の身体には臓器など入っておらず、チューブや風船の様に空っぽであり、水晶かダイヤモンドの様に透明で輝いているのだとイメージしてみて下さい。身体の内には中身が無く、無辺の空間が広がっていると思って下さい。やがて、身体がどんどん軽く感じられ、体重が全く無くなったかのように感じられてくるでしょう。身体が溶け出して、自然と一体になったように感じるはずです。

その感覚を楽しんでみて下さい。心を腹部の中心、お臍から指二本分上にある身体の中心に集中させます。瞑想に慣れていない人にはその場所を特定するのが難しいかもしれませんが、その場合おおよそのポイントでも大丈夫です。とにかく心をお腹の中心に優しく安置するのです。どの位優しく心を置くのかと言うと、鳥の羽が空から滑り降りてきて、水面に落ちる時の様なイメージになります。

 

鳥の羽が水面を撫でる時の様な感覚を持ちながら、心を身体の中心に安置して下さい。その際、常に心身をリラックスさせ続ける様にして下さい。心を集中させるべきポイントが見つかったなら、瞑想の対象となるべきイメージをそこに優しく重ねます。そのイメージに意識を集中していく事で、心がふらつかなくなります。好きなサイズの太陽をイメージしても良いでしょう。

 

また、透明で輝く水晶球をイメージしても良いでしょう。瞑想の対象をイメージするに当っても、知っておくべき作法があります。ゆったりと寛ぎながらイメージしていきます。イメージの形状は、サッカーボールやテニスボール、ピンポン玉など、単純で見慣れたものにするとイメージしやすいでしょう。イメージするのが大変で、無理をして緊張感が生じてしまう様な対象物ではいけません。イメージを見ようとして必死に頑張るというのは誤った方法です。優しくイメージしながら、リラックスしているべきです。イメージが鮮明でなくても問題はありません。その時の状態に満足していて下さい。心を穏やかに、静止させていて下さい。輝く太陽をイメージし続け、心をふらつかせない様にして下さい。どうしても他の事を考えてしまうという場合、マントラを使用して心を調えてみて下さい。

心の中でマントラを優しく唱え続けます。マントラがお腹の中心の太陽から聴こえてくる様をイメージしてみて下さい。「サンマー・アラハン」というマントラを繰り返していきます。このマントラには「心を清める」という意味があり、これを繰り返していく事で人生の苦しみから解放されていくでしょう。このマントラでなくても、「澄んで輝く、澄んで輝く」等でも良いでしょう。マントラを唱えながら、柔らかく寛いだ気分で輝く太陽をイメージしていきます。そして、その純粋な輝きの中心に心を集中して静止させていきます。心が静止に至るまで輝く物体をイメージしつつ、マントラを優しく唱えていきます。

 

心が完全に静止したなら、「サンマー・アラハン」や「澄んで輝く」のマントラは、思考から抜け落ちてしまったかの様に自然と止んでいくでしょう。もうマントラを唱えずにただ心を静止させていたい、と感じる様になり、ただ身体の中心の輝く太陽のみに集中したくなります。そう感じ始めたら、もうマントラを唱える必要はありません。ただ柔らかくリラックスして、太陽のイメージに意識を集中していって下さい。心を静止させ、柔らかく、優しく、ずっと集中していくのです。これ以外の事をしないようにします。

瞑想対象以外の何かが内側から現れてきたとしても、興奮したりしないで下さい。ありきたりのものを見る様に、ただ平静にしていて下さい。起こっている事を平静な気持ちで観察するだけに留め、リラックスしていて下さい。それが何なのか、なぜそれが起こっているのか、などと分析しようとしたりしないで下さい。身体の中心から意識を逸らさず、ただ眺めるだけに徹していれば、そうしたイメージはやがて消えていきます。穏やかで平静な心でただこれを眺めるだけに徹していれば、やがて心が完全に集中し、純粋になって静止して無を感じるようになってきます。この境地こそが重要なので、この体験をこそ逃さないように意識を据えて下さい。先ほどの様な内的体験はあくまで過程に過ぎず、これこそ心を留めていくべき境地なのです。この時はひたすら観察者であって下さい。ただただリラックスし、観察していて下さい。他の事は何も考えず、ただこれに集中していて下さい。

 

これを正しく、リラックスして行えば、心を容易く静止させていく事ができるでしょう。内的体験にあれこれと解釈を加え、分析しようとしたなら、心は落ち着かなくなって体験も消え失せてしまいます。ですから、ただ先程示した通りに観察するようにして下さい。やがて心が洗練されてきて身体の中心に集中し、クリアさと純粋さが得られて輝きと真の幸福に包まれ、心の最深部にある内なる智慧に至る事ができるでしょう。そうして、自分の内部にある普遍の性質を持ったものに至る事ができるのです。